第9回わらび市民映画まつり
文化庁支援事業・平成29年度優秀映画鑑賞推進事業
2018年2月25日(日)
蕨市民会館大ホール
あなたは「溝口健二映画」をいくつ観ましたか?
上映作品
- 山椒大夫 10時~12時04分
- 近松物語 13時~14時43分
- 雨月物語 15時~16時36分
- 西鶴一代女 17時~19時17分(映画会終了)
詳細
入場券
前売券 | 500円 4作品鑑賞可 |
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当日券 | 500円 1作品ごと |
お得な前売り券を、早めにお求めください。
前売り券取扱所
蕨市民会館 | 445-7660 |
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蕨市立文化ホールくるる | 446-8311 |
車貴仙(中央) | 431-5631 |
関口商店(塚越) | 442-0867 |
萬寿屋(北町) | 431-2438 |
魚亀(錦町) | 443-6830 |
根岸クリーニング(南町) | 442-4910 |
戸田市文化会館(戸田市) | 445-1311 |
塚越 | 石川 | 441-5496 |
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中野 | 442-9991 | |
北町 | 米田 | 443-2763 |
中央 | 木原 | 445-4023 |
小宮 | 432-5404 | |
錦町 | 尾崎 | 443-8018 |
南町 | 高松 | 443-3011 |
勝島 | 443-0819 | |
全域 | 中西 | 03-5615-1056 |
日種 | 267-0691 | |
仲内 | 444-3176 |
主催
蕨市民会館 カルチャーショックわらび 文化庁 東京国立近代美術館フィルムセンター
共催
蕨市
特別協賛
木下グループ
協力
株式会社オーエムシー
お問い合わせ
蕨市民会館 TEL 048-445-7660
※2018年1月6日(予定)までは耐震工事のため仮事務所で営業いたしております
関連ファイル
作品紹介
1.「山椒大夫」 10時~12時04分(1954年 大映・京都)
溝口健二監督が、森鴎外の短篇小説を原作に中世荘園の奴隷制度における悲劇をリアリスティックに描き、ヴェネチア国際映画祭で『雨月物語』に続く二年連続の受賞に輝いた力作。原作では、姉安寿と弟厨子王は子どものままであるが、映画では成人してからの二人に重点が置かれるとともに、香川京子、花柳喜章という配役から、安寿を妹、厨子王を兄と設定を変えている。そもそも八尋不二による脚色は原作に忠実なものであったが、溝口監督の意向を受けた依田義賢が改定にあたり、奴隷制度や奴隷解放といった社会的側面が強調されるシナリオになったという。宮川一夫の絶妙なカメラによる美しいシーンが随所に見られ、その乾いた画調には鬼気迫るものがある。
2.「近松物語」 午後13時~14時43分(1954年 大映・京都)
1952年に『西鶴一代女』で世界的注目を浴びた溝口監督は、『雨月物語』と『山椒太夫』によって翌53年、54年と相次いでヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞した。日本の古典文学を題材にして秀作を発表し、独自の様式美をもって世界的名声を獲得した溝口は、今度は近松門左衛門の人形浄瑠璃「大経師昔暦」を映画化することになった。商家に嫁いだ若妻が、わがままで好色な夫を諫めるために芝居を仕組むが、ちょっとしたはずみから使用人との不義密通の汚名を着せられるが、真実の愛にたどりつくラストシーンに深い感動がある。
3.「雨月物語」 15時~16時36分(1953年 大映・京都)
上田秋成の短篇を原作に、欲望と幸福、戦争と平和といった普遍的な主題を、戦国時代の二組の夫婦を通じて対照的に描いた作品。溝口健二監督の美学が明瞭に表れている。霧に覆われた湖を行く船や朽木屋敷の描写、森雅之扮する源十郎が故郷の家に帰ってからの場面などに、独特な様式美を感じとることができる。この幻想性は溝口監督生来の資質の一つであり、戦前は『滝の白糸』(1933)など泉鏡花の作品を盛んに手掛けた事実もある。冷徹なリアリストを支えている柱が、洗練された美意識であることを如実に教えてくれる作品であり、やはり溝口監督は日本映画を代表する「美と残酷」の映画作家と言えよう。艶のある画面を作り出したカメラ・宮川一夫の功績も大きい。
4.「西鶴一代女」 17時~19時17分(1952年 新東宝=児井プロ)
映画化にあたって溝口健二と依田義賢は、女主人公の自己主張や被害者意識を極力排し、男性本位の都合で数奇な人生をおくってしまった女の人生を客観的に凝視する手法で描いた。主人公お春は最底辺に堕ちつつも、過去に出会った男達の五百羅漢の顔に重ね合わせ、思い出しながら、人生の悲喜こもごもを静かに回想する。そして何処ともなく闇の彼方へ去っていく。出会った男の一人に扮する新人だった三船が初々しい。国内ではキネ旬第9 位の評価だったが、1952年のヴェネチア映画祭で国際賞を受賞、以後「お春の一生」の題で日本映画を代表するようになりフランスはじめ欧米各国で溝口監督は神格化されることになった。